きものってなに?
きもの とは日本の民族衣装です。
きもの は日本語で「着るもの」を表します。
老若男女、すべての日本人が「着る」もの、
それを「きもの」と呼びました。
はじめは寒さ暑さから身を守るために
獣の皮や木の皮を身につけました。
その後 飛鳥、古墳、奈良と
時代とともに中国から服飾文化が、
朝鮮半島からは織りの技術が伝えられ、
平安時代には日本人の美意識の結晶とも言える
優美な女房装束(十二単)が宮中を彩りました。
そして十二単の下着であった
袖の短い小袖が、
現在の着物とほぼ同型の原型となりました。
その小袖を彩る
絞り染や友禅染、
刺繍や箔押しなどの染織技術、
美しい柄、伝統文様は
現代の職人さんに伝承されています。
また、きものの素材も
絹をはじめ
麻や木綿、
藤や葛などの
樹皮などによって
日本の気候風土にあった織物が
全国各地で生産されています。
日常の日々も
通過儀礼などのハレの日も
年齢や立場、季節感にあわせて
着るすべてのもの。
それが日本のきものです。
そして150年ほど前…、明治時代。
日本に洋服が伝わり、その動きやすさから
たちまち洋服を着る日本人が増えていきました。
そのため、古来からの「着るもの」を「きもの」、
西洋から伝わった衣服を「洋服」と呼び
区別するようになりました。
今ではわたくしどもは皆、
普段は洋服を着て暮らしています。
しかし、
生まれてから、この世を去る時まで、
人生の、大切な節目の儀式に臨むときには
今でも「きもの」を着ます。
「きもの」には、
日本の伝統はもとより
着る人の幸せを願う
家族の真心が込められていることを
誰もが知っているからです。
ですから
どんなに洋服が便利な衣服でも
日本から「きもの」がなくなることはないと
私どもは思っています。
ここでは、「きもの」を
主に「女性の一生」を通して
ご紹介したいと思います。
「白絹の産着」
待ちに待った赤ちゃんの誕生です。
家族は我が子のために
初めてのきもの
純白の絹の産着を用意します。
(男児は青、女児は赤の産着を用意する地域もあります)
参考:アンティークの産着
産着は一ツ身で
手通し、袖通し、テガケとも呼ばれ
赤ちゃんが生まれて初めて手を通すものです。
昔は医療が発達しておらず
赤ちゃんを無事に育てるのは大変な苦労がありました。
産着には、
植物の「麻」のように
丈夫でまっすぐに育つよう願いをこめて
「麻の葉」柄が多く用いられます。
麻の葉柄
そのほか
さや型、宝尽くしなど
厄除けや縁起の良い柄が選ばれます。
さや型
宝尽くし
赤ちゃんはこうした思いのこもった
純白のきものに包まれ
誕生の祝福を受けるのです。
白絹の産着は
「袖通し」、
「お七夜」、
「お食い初め」など、
赤ちゃんの折々の衣装になります。
また、
「お宮参り」の祝着「掛着」の中に着る
「内着」にもなります。
背守のおはなし
背守はせもり、せまもりとも読みます。
大人のきものは背中で縫い合わせて仕立てますから
背縫いがありますね。
魔物は背後から忍び込むとという俗信がありますが
背中の縫い目、この「目」が魔物を見張っていると
考えられています。
産着など、赤ちゃんや、小さなこどものきものは
背中に縫い目がありません。
そこで家族の手で、
産着や日常のきものの背中に十ニ針の守縫をし、
背中のお守りとしました。
背守を見てみましょう。
男の子の一ツ身アンティークきものです。
大人のきものを解いて仕立られたものと
推察されます。
男児の背守は、
裏針のしつけ縫いで
縦に九針、斜め左に三針
(又は縦に七針斜めに5針の十二針)、
糸の端は長くたらします。
※女児は表針で斜め右に縫い下ろします。
背守について、
2010年暮しの手帖47号「美しい背守り」
特集より
糸の端を長く垂らしておくのは、
うっかり井戸や囲炉裏に落ちた子を、
無事に守り神に引き上げてもらうため。
悪鬼につかまってもするりと逃げかわせるよう、
結び玉はあえて作りません。
〜略
背守りがいつから始まったのか、
今となっては誰にもわかりません。
ただ、鎌倉時代の絵巻物にも描かれていますから、
かなり古くから行われてきたことはたしかです。
と、あります。
はるか昔から昭和の初め頃まで
日常的だった魔除けの背守は
今ではあまり見かけなくなりました。
しかし今でも
こどものTシャツなどにも施せるよう
背守刺繍キットや
背守の本が新たに発売されています。
こどもの健康や無事を願う親心は
今も昔も変わりはありません。
ところでこちらの文様縫いは
十二針の「背守」とは別に「背紋」と呼びます。
(一般的には背守とも言います。)
長寿の亀やトンボ、常緑の松葉などが
モチーフになっています。
縁起の良い柄を刺繍してこどもの背中を見張っています。
そのほか加賀地方には
羽子板の伝統の技から生まれた
美しい「加賀の背守貼紋」。
このように全国の地域ごとに
独特の背守があります。
紐飾りのこと
赤ちゃんのきものには
もうひとつ、「紐飾り」という守縫いがあります。
小さなこどものうちは
帯をしめません。
きものに縫いつけた「付け紐」を結んで着せます。
その紐にも決まりがあり、
男児は輪が下、
女児は輪を上に向けて縫い付けます。
紐飾り
紐飾り
紐をきものに縫い付けた部分に
様々な飾り縫いをするのですが
これを「紐飾り」と呼び
魔除けとしました。
お宮参りの祝い着「掛け着」
男の子は生後31日、
女の子は32日目に
生まれた土地の氏神さまに
初めて参拝をし、
誕生の報告と、健やかな成長を祈ります。
赤ちゃんは白絹の産着を着て
父方の祖母が抱き、お祝い着を着せ掛けて参拝します。
※産着を「内着(うちぎ)」、
お祝い着を「掛け着(かけぎ)」、
「お掛け」とも呼びます。
祖母の首にまわされた掛け着の紐に、
地域によってさまざまですが
でんでん太鼓
犬張子
紐銭
守り袋
など縁起物を
麻紐で括りつけて吊るします。
女の子の掛け着は華やかな吉祥柄。
背守刺繍や家紋を入れることもあります。
男の子の掛け着には勇壮な鷹や兜の柄が染められています。
男の子のきものには家紋が染められています。
背中の家紋は「ご先祖さま」
両胸は「両親」
両袖は「兄弟、姉妹」を表しています。
家紋がお守りになるので
紋が入った祝い着には背守縫いはしません。
家族も家紋入りの礼装、又は正装で参拝します。
「七五三」
日本では子供が成長していく過程で
様々な節目があります。
三歳、五歳、七歳です。
「七歳までは神の内」という言葉があります。
諸説あるようですが
七歳まではこどもは神さまからお預かりしており、
七歳になり、初めて氏神さまに氏子として認められ、
地域社会の一員となる節目であるということです。
七歳に成長するまでの
折々の節目を迎えた子供とその家族は
そろって神社に参拝して成長を神さまに報告し、
健やかな成長を願います。
節目の儀礼の成り立ちをご紹介しますと、
三歳児は
「髪置き」の祝い。
乳児は三歳になるまで髪を剃りました。
男女ともに三歳から髪を伸ばし始めます。
三ツ身きもの、
または掛け着に
肩揚げ、腰上げをし、
長襦袢に半衿をかけ、
袖の飾り布をはずし袖に丸みをつけます。
その上に被布を着せて参拝します。
五歳男児は
「袴着」「髪そぎ」。
皇室では「碁盤の儀」。
成人男性同様に五つ紋付羽織袴姿で参拝します。
七歳女児は
「帯解き」「帯の祝い」。
それまでの「付け紐」を取り、
初めて「帯」を結んだきもの姿で
参拝します。
成長の早い子供のうちは
大きめのきものを、肩や腰をつまんで着ます。
(肩揚げ、腰揚げと言います。)
成長に合わせて、このつまみが少しずつ
小さくなっていくのはとても嬉しいことです。
「十三参り」
およそ200年ほど前から始まった行事です。
4月13日、
数えで13歳(生まれ年の干支がめぐってくる年)
に福徳、知恵などを授かるよう
神社へお参りする行事です。
女子は大人と同じ本裁ちのきもの(主に振袖など)
に肩揚げをして着ます。
関西地方では男子もお参りします。
「成人の祝い」
子供が成長して二十歳になると、成人として認められます。
古くは
男子は髪を結い烏帽子をつけ、
女子は髪を結い、歯を黒く染め、
腰から裾に伸びる「裳」という衣装をつけ
成人したことを周囲に示しました。
現代では「成人の日」が定められ、
成人を迎えた男性は、
きものの正装「羽織、袴」かスーツ、
女性は
未婚女性の第一礼装である、
袖の長い華やかな「振袖」を着て
式典に出席します。
長い袖には意味があります。
未婚の女性が長い袖を振ることで
空気を清め、
厄災を払うと言われています。
また、意中の男性を振り向かせたいときも
袖を振り、心を伝えていたそうです。
振袖は
未婚女性の第一礼装であると共に
さまざまな場面で「社交着」として活躍します。
「花嫁衣裳」
白無垢が正式です。
(昭和の30年ごろまでは
黒地のきものが主流でした)
「打掛」は
吉祥模様が織り込まれた
白の緞子(どんす)地、紋りんず地。
「掛下」は
打掛の下に着るきものです。
白の羽二重、又はりんず地のきもの。
白の羽二重、又はりんず地の長襦袢を着ます。
「掛下帯」は
きものと共生地か白地の中幅帯を文庫結びに。
「抱え帯」
正絹の白、又は白や銀糸の織模様入り。
「帯締め」
「帯揚げ」
「箱せこ」
「懐剣入れ」
「白房付の礼装白骨扇子」
など、小物類も
全て純白で統一します。
「純白の綿帽子」は
白無垢の花嫁衣装にのみ合わせます。
かつては白無垢のきものを
赤ちゃんの産着に仕立替えたり
することもありました。
一方「色打掛」は
唐織や錦織、友禅染や刺繍など、
色鮮やかで豪華になります。
色打掛の時は掛下帯や小物などは
白に限らず、色を合わせて
コーディネートします。
「留袖」
既婚の成人女性の第一礼装は留袖です。
結婚前、意中の男性に気持ちを伝えるために
長い袖を振ると先ほどお伝えしました。
結婚後はその必要が無くなりますので
振袖の袖を切って短くします。
日本では「切る」という言葉は
縁起が悪い事ととらえられていますので
袖を留める「留袖」と呼びます。
昔の留袖は華やかな振袖の
袖を短くしたものです。
江戸時代に、
黒地に裾模様、五ツ紋の「黒留袖」が誕生し
既婚女性の最上の第一礼装となりました。
黒地に対して
色地に裾模様の「色留袖」があります。
家紋の数で格式が変わるきものです。
「社交着」
女性の社交着を「訪問服」「訪問着」といいます。
相手を訪問する時、または迎える時の正装です。
年齢や立場、場面によって
それは振袖であったり
絵羽模様のきものであり、色無地や
付け下げであったりもします。
格調高い柄の他、季節の花の柄など、
様々な柄で目を楽しませてくれます。
そして
人生の最後のきもの
白い麻の「経帷子」。
かつては家族が、
ハサミを使わず刃物で裂き
玉留めをせずに縫い、
故人に着せかけました。
生まれてから、この世を去るまで
人は、
人生の大切な節目に清らかな白の衣裳を
身につけてきました。
白という無垢な色が
心や体を清めてくれると考えられているのです。
ご紹介しました「きもの」は
日本の伝統的な工芸の技が多く使われています。
伝統工芸としての視点について、
また日常のきものについては
別の機会にご紹介できればと思います。