長襦袢まめ知識
きものが上手に着られたな、と思うときは
大抵長襦袢の着付けからして
ぴったり決まってます。
きもの姿にとって重要な長襦袢について
あれこれとご紹介します。
まずは「長襦袢のルーツ」から。
「襦袢(じゅばん)」の語源は
アラビア語の Jubbah(ジュッバ)。
アラビアの「胴着」のことです。
「胴着」とは
丈の長い前開きの立衿のガウンで、
学者や学生の服装、イスラムの僧侶の法衣です。
「長襦袢のルーツ」、
実際にはどんなものなのか
ぜひ見てみたいと思い、
昨年11月4日 愛知県犬山市「リトルワールド」
に見学に出かけ
トルコ館にて撮影しました。
写真のこの方は
イスラム教の導師さまです。
トルコでは「lmam(イマン)」と呼ばれます。
導師さまが羽織っているこのガウンを
トルコでは「cübbe(ジュッぺ)」、
「lmam cübbe」と呼ぶそうです。
さて、時は流れ
中世になり、
アラビアのJubbah (ジュッバ)はポルトガルに渡り
「すその短い上着」 gibâo(ジバゥン)に変化しました。
その後、
信長の時代に
キリシタンによって日本に伝来した
裾の短い立衿の上着gibâo(ジバゥン)は
「じゅばん」と呼ばれ
漢字で「襦袢」と当て字で表現されるようになりました。
神戸市立博物館所蔵の
狩野内膳(安土桃山-江戸初期)の南蛮屏風「右隻」に
立衿のついた黒いgibâo(ジバゥン)を着用し
長崎の港に到着した
当時のカピタン(キャプテン)の姿が描かれています。
画像は手に入りませんが、
文明堂のカステラの包み紙を
思い出していただくと良いのですが…。
そのうち小袖と内着(下着)の間にこの「襦袢」を着て
立衿を出すという奇抜な着こなしをする武士も現れ
日本において「襦袢」とは
着物の「下着」としてとらえられるようになります。
その後、
胴の部分がさらしで作られた丈の短い
「半襦袢」を着物の下に着るようになり
江戸時代の後期まで続きます。
丈が裾まである現在とほぼ同じ形の「長襦袢」は
江戸時代後期の遊女が考案したもので
遊郭の部屋着でした。
ところで「長襦袢の役割」とは?
長襦袢は、大切なきものに汚れや汗、
皮脂、白粉、ファンデーションが
つかないように保護する役割があります。
また、体のラインを整えて
きものを着やすくする効果もあります。
では「半衿の役割」は…
長襦袢もきものと同様に汚れると洗うのが大変です。
半衿は、
特に汚れがつきやすい衿元に布地(半衿)を縫いつけて、
汚れたらその布地だけをはずして洗えばよい
との考えから生まれました。
また、きものや季節に合わせて色や素材に変化をつけて
装いのアクセントとしての楽しみもあります。
そもそも「半衿」をなぜ半衿と呼ぶか?
きものの衿の半分程度の長さなので
「半衿」と言います。
以上、
長襦袢にまつわるあんな事こんな事、でした。
また少しずつ書き足していきますね。
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