染と織の歴史② 古墳時代〜飛鳥時代
□ 古墳時代
大和朝廷が国内を統一、 中国からは漢字が伝えられました。
その頃に秦氏や錦織部など朝鮮半島からの渡来人が布地を織る技術を伝えたといわれています。
それは現代の織物と変わらないような見事な技術であったそうです。
芝山町立「芝山古墳・はにわ博物館」にはこの時代の埴輪をもとに特別な時に身につける衣装を復元されたものが展示されていますが、大変色彩豊かで華やかな事に驚かされます。
この頃からすでに寒さから身を守るためだけではなく、身分や権威を表したり、祭祀や集会など日常と違う晴れの場で身につける特別な衣裳“晴れ着”が存在したのです。
□ 飛鳥時代
遣隋使、遣唐使によって中国文化が日本に入って来ました。
高松塚古墳の壁画に見られるように、位の高い人々は色彩豊かな衣服を着ていましたが一般の人々は弥生時代からほとんど変わらない服装だったようです。
この時代の摂政 聖徳太子は朝廷に仕える役人を12階の官位に分け冠を授けました。冠の色は階級によって定められ、衣服も冠の色に準じた色であったと考えられています。
聖徳太子の死後、彼の妃・橘 大郎女が太子とその毋・間人皇后の死を悼みつくらせた「天寿国繡帳」は日本最古の刺繍工芸品として国宝に指定されています。