更紗 -サラサ-
今年10月、「更紗柄のきもの展」を
名匠庵本社で開催いたしました。
お客様との会話で、1番多かったのが
「そもそも、更紗ってなに?」
でした。
諸説あり、
とても奥深いこの問いかけの答えを探究することは、
どこかエキゾチックな雰囲気を漂わせる「更紗」のきものに対して
愛着が更に増していく事になりそうです。
ー更紗とはー
日本で「更紗」と呼ばれているもののルーツは
インド東南のコロマンデル地方沿岸で古くから製造され、
「木綿地に『草花や小動物など』を図案化し蝋染めで染めた」
布地、裂地のことです。
この木綿の布地は海を渡り、ヨーロッパやアジアへ輸出されました。
インドから来た、このどこかエキゾチックな色と文様(柄、図案)は
世界各地の人々の心をとらえ、各地の感性と融合されながら
今なお生き続けています。
そして元々、日本で「更紗」といえば
渡来した「布地そのもの」、又その「文様」を指していたと思います。
それが「その文様を写したもの(日本で作られた布地、きものや帯、
陶磁器や服地など多種多様の製品、作品)」も一言で更紗、
または更紗文様の〇〇、と呼ばれ、広く親しまれる
ようになったのです。
この「更紗」、
日本へは 慶長20年、まず「インド更紗」が
入って来ました。
そしてその後インドからインドネシアに渡った後、
文様や蝋染めの技法に独自の発展を見せた
「ジャワ更紗(ジャワバティック)」が入ってきました。
従来の日本にはなかった細密で濃厚な色と文様に
はじめて出会った人は随分と惹きつけられたことと
想像します。
そして日本でその布地の色柄、技法を研究、工夫して
日本好みの国産「和更紗」(堺更紗、鍋島更紗、天草更紗など)が
作られ、渡来更紗と共に諸大名や茶人に愛着を持って大切に
扱われました。
さらに京都でも、
絹のきもの地に更紗文様をつけるための技法が
工夫されました。
20枚以上の型紙を作り手摺りで染める「友禅更紗」、
友禅更紗:訪問着 二代目更甚作
木版印を使用する「木版更紗」、
木版更紗:名古屋帯 影山雅史作
細密な柄を手描きで施す「描き更紗」など
どれも大変な時間と労力をかけて製作されるものです。
ー更紗の語源ー
「更紗」については様々な研究がなされ、文献も数多くあります。
南方諸島の各地をご自身で廻られ、
この地方の文化に造詣の深い齋藤正雄先生(1895-1986)が
雑誌「茶わん」(昭和13年4月号第86号)に寄稿された
“蠟染めと「更紗」の語源” の冒頭と結びの一文が、
なぜ「更紗」の名で呼ばれるのかを理解するのに
とても良い道しるべになるかと思いましたので
引用させていただきます。
先ずは冒頭部分
今日我々が日常用ひてゐる更紗と云ふ言葉は、
耳觸りの善い日本語に消化されて、少しも外來語の臭味を感じないが、
實は更紗なる文字を仔細に見ると、その文字が更紗其物の
實體に何んの關係もないことに氣付く筈である。
卽ち更紗は南方の諸國から我國に海舶された
一種の蠟染織物に對して與へた當字であつて、
古くは暹羅染、砂室染或はさらさ、さらあさ、紗羅染、紗羅陀、
更多、佐羅佐等の文字を充當してゐた。
そして更紗についての考察を記した後、結びとして
さればサラサはコロマンデル沿岸で生産された
草花小禽文様を描く﨟纈の一種に就いて呼ぶタミル語であつて、
之が葡萄牙人及び和蘭人の極東貿易船と共に爪哇を經て日本に傳へられ、
今日の「更紗」となつたと考へ得るのである。
と、書かれています。
昭和13年当時のまま引用いたしました。
読みづらい漢字もありますので
現代語にしてみます。
「今日我々が日常用いている更紗という言葉は、
耳触りのよい日本語に消化されて、少しも外来語の臭味を感じないが、
実は更紗なる文字を仔細に見ると、その文字が更紗そのものの
実体になんの関係もないことに気付くはずである。
すなわち更紗は南方の諸国から我国に海舶された
一種の蝋染め織物に対してあたえた当て字であって、
古くは暹羅(しゃむろ)染、砂室(しゃむろ)染あるいは
さらさ、さらあさ、紗羅(さら)染、沙羅陀(さらだ)、更多(さらた)、
佐羅佐(さらさ)等の文字を充当していた。」
「さればサラサはコロマンデル沿岸で生産された草花小禽文様を描く
臈纈の一種について呼ぶタミル語であって、
これが葡萄牙(ポルトガル)人および和蘭(オランダ)人の極東貿易船と共に
爪哇(ジャワ)をへて日本に伝えられ、
今日の「更紗」となったと考え得るのである。」
さらに京都書院から刊行された「南方染織図録」の「ジャワ更紗 上」
から前出の斎藤正雄先生が解説をされた一文を引用いたします。
ジャワ語のバティックの出典としてはバタビヤ城日誌の
一六四一年四月八日の項に、
バタビヤからスマトラ西海岸ベンクーレン地方マンナに向けて出帆した
ランプウ(帆船)の積荷の中に、
“2p. Sarassen batick” 即ち「サラッセ文様バティック二包」
とあるのが古い。
このサラッセンはインドネシア語では Serasah
ジャワ語では Srasah に綴り、
それがコロマンデル沿岸に由来する
細かい草花小禽文様の臈纈を指していることは疑いない。
そしてこのサラッセやスラサは、わが国に伝来の後、
「更紗」と書かれた言葉の祖形であることもほぼ疑いがない。
、、、あらためて、最初の質問を。
「更紗って、何?」
「インドのコロマンデル沿岸地方で
草花や小動物を図案化して木綿に蝋染めして
生産された布地。
現在ではそれらの布に染められていた図案を元に
様々なデザイン、技法で作られた製品も
「更紗」と呼んでいます。
更紗柄のきもの、更紗の刺繍帯
更紗文様の絨毯、更紗絵付けのお茶碗、
更紗風の柄のハンカチ、カーテン、、、
唐草模様もペイズリーも更紗の図案のひとつ
です。
更紗文様刺繍袋帯
更紗文様 (金唐革技法製品)
見渡せば、更紗に影響を受けた製品の
なんと多い事でしょう。
歳月も海も飛び越えて、
不変の魅力を放つデザイン、それが「更紗」なのです。
次回、
インドからインドネシアに渡り、
独自の発展を遂げ、日本にも馴染みの深い
「ジャワ更紗」(ジャワバティック)について
お話ししたいと思います。