衣替え 〜絽ちりめん、いつ着る?〜
6月も、もう15日過ぎました。
1年が、半分過ぎようとしています。
6月1日が衣替えの日、
または衣替えをする目安の日とされていますが
最近では5月にも猛暑の日があって
制服、洋装、和装とも早めの夏支度となっています。
和装、きものの場合、
5月中旬ごろから6月30日までは単衣(ひとえ)を着ます。
7月1日から8月31日までは絽、紗、上布などの薄物(うすもの)、
9月1日から9月30日まで単衣(ひとえ)、
10月1日から、年が改まって5月初旬までを袷(あわせ)で過ごします。
さて、表題の「絽ちりめん」。
「絽」のきもの地にも数種類ありまして、
駒絽、変わり絽、たて絽、紋絽、平絽、絽ちりめん、、、。
ひとつずつ見ていきましょう
絽のきものの代表的な生地「駒絽」。
たて糸に平糸、よこ糸は「撚り(より)」をかけた駒糸を使い
よこ糸3〜7本ごとにたて糸をよじって隙間を作って織る、
風通しの良い生地です。
手触りもしゃっきりしています。
駒絽は7月と8月向け。
そして「変わり絽」。
上記の駒絽はよこ糸の本数がお行儀よくそろっています。
変わり絽はよこの駒糸の本数をわざと変化させた
洒落味あふれる生地です。
こちらも7月と8月。
「たて絽」は
たて糸に隙間を作り風通しよくしています。
写真のようにたて糸の本数を変化させたものと、
本数が揃っているものがあります。
こちらも7月、8月のきもの。
「紋絽」は
絽織と、紋織(模様織)を組み合わせたもの。
7月と8月に。
「平絽」は
たて糸、よこ糸、共に撚りをかけていない「平糸」を
使って絽織にしたもの。
主に夏の染帯の白生地として織られていますが
最近はあまり見かけなくなりました。
ちょっとテラっとした味の生地。
そして「絽ちりめん」。
よこ糸に強撚糸を使って織る、
“しぼ”が特徴の絽織です。
古代ちりめんの「絽」版ですね。
シャリっとしていながらちりめんのとろみも
備えた夏生地です。
(最近はしぼの控えめな「変わり絽ちりめん」もあります。)
うすベージュの絽ちりめん無地着尺に絽綴八寸帯をコーディネート
絽ちりめんは、
6月中旬頃の梅雨時期、
気温が下がる「梅雨寒」の日に着るきもので、
6月30日まで。
「絽」ではあるけれど7月8月は避けて、、、、
と言われています。
けれど、いや、もう、この説明、
「、、、とも言われています。」に変更しても
いいのでは、と思います。
気候が昔とは違ってきている今、
目の詰まった絽のきものを
6月の末頃から着る、
絽ちりめんのきものを盛夏に楽しむ、
どちらも許容範囲になっています。
体に無理なく
同行のお仲間との空気を読みつつ、
きものの難関、
単衣時期を乗り越えてください!
更紗 ージャワ更紗ー
ジャワ更紗、
またの呼び名を「ジャワバティック」。
ーバティックとはー
語源は諸説あります。
日本航空の情報誌「AGORA」2015年5月号
巻頭特集「バティックの古都を行く」文=坪田三千代さんより
「バティックという言葉は、そもそもジャワ語。
ンバッは投げるという意味、ティックは小さな点のことなんです」
かつてインドのコロマンデル沿岸地方で製作された
「草花や小禽類文様を蝋染めした布地」は貿易船で
インドネシアの各地、またその首都のあるジャワ島に
「サラッセ」、「スラサ」の名で大量に輸入、消費されました。
その後ジャワ島では、良質な木綿生地を使用し、
蝋染めの技法や文様も独自に発達させたものが製作され、
ジャワにおける「インド製染織品」は次第に姿を消していきました。
布の味わいとして、
インド製のいわゆる「鬼更紗」と呼ばれる
ざっくりした風合いの生地におおらかな柄つけのものに比べ、
インドネシア、ジャワ島の「ジャワ更紗」は
欧州製などの細糸の綿布に「細密な点描」などで濃厚な色、
文様が施されており、全く独自の発展を見せたのです。
ージャワ更紗(ジャワバティック)の文様ー
文様を数えれば千を超えると言われていますが、
そのすべてに意味があり、
王族、貴族のみに許された「禁制文様」、
職業や立場などに定められた文様、
冠婚葬祭の折々に纏う祈りのこもった文様もあり
とても興味深いものです。
大きく分類しますと
禁制文様、細かな草花文様、織物文様、編物文様、組紐文様
孔雀文様、鳳凰文様、雲形文様、宝相華文様、
支那風文様、インド風文様など
ージャワ更紗(バティック)の技法、道具ー
かつて白地の木綿地の両面又は片面に
溶かした蜜蝋をチャンチンと呼ばれる小さな金属製の道具にいれ
文様を描くのはジャワの婦人の手仕事でした。
細密な「点」をひとつひとつ蝋で乱さず描き続けることは
相当な集中と忍耐が必要とされ、
古のジャワ王宮の女性たちは
これを精神修養として静かに布に向き合いました。
チャンチンは
細い管を並べて平行線を描いたり
たくさんの管を環状に固定して一度にたくさんの点描ができるよう
工夫されたものもあります。
時代は下り、
チャンチンによるフリーハンドの手描きのほか
押型(チャップ)を使ったものも作られるようになりました。
押型の継ぎ目がわからないように慎重に押していきます。
この押型は非常に力のいる作業なので男性の仕事です。
さらに文様が印金技法で施されたものも見られます。
現代では手描きや押型、押型と手描きの併用のほか
レーヨン素材などにプリントするバティック風のものまで
様々です。
ーバティックの染ー
蝋のにじみを防ぐための下処理をほどこした
生地に、木灰などで下絵を描き
チャンチンで文様をのせます。
ベースの色を染めて乾かし、
必要な箇所だけを残して固まっている蝋を掻き落とし、
さらにチャンチンで文様を書き足し
再び別の色を染め重ねます。
表現したい文様、色の数だけ手間がかかります。
この色彩は地域によって特徴があり、
ジャワ島の首都ジョグジャカルタは暗い藍系
古都ソロのバティックは
明るめの茶褐色系といわれています。
ジョグジャカルタ、ソロそれぞれの街に
博物館があるそうでバティックの古布や
その歴史、王宮文化に触れることができます。
こちらは現代のソロの工房のもの
細密な点描で蝋染めされた更紗文様。
紋織りのシルクにバティックが施されたストールです。
数年前から弊社社長とジャワ島の古都ソロの工房主と
交流があり、その貴重な作品が名匠庵に数点ございます。
シルクのジャワバティックのストールは
大島紬などの趣味のきものによく映えるばかりでなく
洋服にもお合わせいただけます。
ストールについて詳しくはこちらをご覧ください。
更紗 -サラサ-
今年10月、「更紗柄のきもの展」を
名匠庵本社で開催いたしました。
お客様との会話で、1番多かったのが
「そもそも、更紗ってなに?」
でした。
諸説あり、
とても奥深いこの問いかけの答えを探究することは、
どこかエキゾチックな雰囲気を漂わせる「更紗」のきものに対して
愛着が更に増していく事になりそうです。
ー更紗とはー
日本で「更紗」と呼ばれているもののルーツは
インド東南のコロマンデル地方沿岸で古くから製造され、
「木綿地に『草花や小動物など』を図案化し蝋染めで染めた」
布地、裂地のことです。
この木綿の布地は海を渡り、ヨーロッパやアジアへ輸出されました。
インドから来た、このどこかエキゾチックな色と文様(柄、図案)は
世界各地の人々の心をとらえ、各地の感性と融合されながら
今なお生き続けています。
そして元々、日本で「更紗」といえば
渡来した「布地そのもの」、又その「文様」を指していたと思います。
それが「その文様を写したもの(日本で作られた布地、きものや帯、
陶磁器や服地など多種多様の製品、作品)」も一言で更紗、
または更紗文様の〇〇、と呼ばれ、広く親しまれる
ようになったのです。
この「更紗」、
日本へは 慶長20年、まず「インド更紗」が
入って来ました。
そしてその後インドからインドネシアに渡った後、
文様や蝋染めの技法に独自の発展を見せた
「ジャワ更紗(ジャワバティック)」が入ってきました。
従来の日本にはなかった細密で濃厚な色と文様に
はじめて出会った人は随分と惹きつけられたことと
想像します。
そして日本でその布地の色柄、技法を研究、工夫して
日本好みの国産「和更紗」(堺更紗、鍋島更紗、天草更紗など)が
作られ、渡来更紗と共に諸大名や茶人に愛着を持って大切に
扱われました。
さらに京都でも、
絹のきもの地に更紗文様をつけるための技法が
工夫されました。
20枚以上の型紙を作り手摺りで染める「友禅更紗」、
友禅更紗:訪問着 二代目更甚作
木版印を使用する「木版更紗」、
木版更紗:名古屋帯 影山雅史作
細密な柄を手描きで施す「描き更紗」など
どれも大変な時間と労力をかけて製作されるものです。
ー更紗の語源ー
「更紗」については様々な研究がなされ、文献も数多くあります。
南方諸島の各地をご自身で廻られ、
この地方の文化に造詣の深い齋藤正雄先生(1895-1986)が
雑誌「茶わん」(昭和13年4月号第86号)に寄稿された
“蠟染めと「更紗」の語源” の冒頭と結びの一文が、
なぜ「更紗」の名で呼ばれるのかを理解するのに
とても良い道しるべになるかと思いましたので
引用させていただきます。
先ずは冒頭部分
今日我々が日常用ひてゐる更紗と云ふ言葉は、
耳觸りの善い日本語に消化されて、少しも外來語の臭味を感じないが、
實は更紗なる文字を仔細に見ると、その文字が更紗其物の
實體に何んの關係もないことに氣付く筈である。
卽ち更紗は南方の諸國から我國に海舶された
一種の蠟染織物に對して與へた當字であつて、
古くは暹羅染、砂室染或はさらさ、さらあさ、紗羅染、紗羅陀、
更多、佐羅佐等の文字を充當してゐた。
そして更紗についての考察を記した後、結びとして
さればサラサはコロマンデル沿岸で生産された
草花小禽文様を描く﨟纈の一種に就いて呼ぶタミル語であつて、
之が葡萄牙人及び和蘭人の極東貿易船と共に爪哇を經て日本に傳へられ、
今日の「更紗」となつたと考へ得るのである。
と、書かれています。
昭和13年当時のまま引用いたしました。
読みづらい漢字もありますので
現代語にしてみます。
「今日我々が日常用いている更紗という言葉は、
耳触りのよい日本語に消化されて、少しも外来語の臭味を感じないが、
実は更紗なる文字を仔細に見ると、その文字が更紗そのものの
実体になんの関係もないことに気付くはずである。
すなわち更紗は南方の諸国から我国に海舶された
一種の蝋染め織物に対してあたえた当て字であって、
古くは暹羅(しゃむろ)染、砂室(しゃむろ)染あるいは
さらさ、さらあさ、紗羅(さら)染、沙羅陀(さらだ)、更多(さらた)、
佐羅佐(さらさ)等の文字を充当していた。」
「さればサラサはコロマンデル沿岸で生産された草花小禽文様を描く
臈纈の一種について呼ぶタミル語であって、
これが葡萄牙(ポルトガル)人および和蘭(オランダ)人の極東貿易船と共に
爪哇(ジャワ)をへて日本に伝えられ、
今日の「更紗」となったと考え得るのである。」
さらに京都書院から刊行された「南方染織図録」の「ジャワ更紗 上」
から前出の斎藤正雄先生が解説をされた一文を引用いたします。
ジャワ語のバティックの出典としてはバタビヤ城日誌の
一六四一年四月八日の項に、
バタビヤからスマトラ西海岸ベンクーレン地方マンナに向けて出帆した
ランプウ(帆船)の積荷の中に、
“2p. Sarassen batick” 即ち「サラッセ文様バティック二包」
とあるのが古い。
このサラッセンはインドネシア語では Serasah
ジャワ語では Srasah に綴り、
それがコロマンデル沿岸に由来する
細かい草花小禽文様の臈纈を指していることは疑いない。
そしてこのサラッセやスラサは、わが国に伝来の後、
「更紗」と書かれた言葉の祖形であることもほぼ疑いがない。
、、、あらためて、最初の質問を。
「更紗って、何?」
「インドのコロマンデル沿岸地方で
草花や小動物を図案化して木綿に蝋染めして
生産された布地。
現在ではそれらの布に染められていた図案を元に
様々なデザイン、技法で作られた製品も
「更紗」と呼んでいます。
更紗柄のきもの、更紗の刺繍帯
更紗文様の絨毯、更紗絵付けのお茶碗、
更紗風の柄のハンカチ、カーテン、、、
唐草模様もペイズリーも更紗の図案のひとつ
です。
更紗文様刺繍袋帯
更紗文様 (金唐革技法製品)
見渡せば、更紗に影響を受けた製品の
なんと多い事でしょう。
歳月も海も飛び越えて、
不変の魅力を放つデザイン、それが「更紗」なのです。
次回、
インドからインドネシアに渡り、
独自の発展を遂げ、日本にも馴染みの深い
「ジャワ更紗」(ジャワバティック)について
お話ししたいと思います。
イチョウは「貴重」
以前、桐箪笥製造の職人さんと話をしていて、
引き出しに「乾燥させたイチョウの葉を入れると虫除けになる」と教えてもらいました。
秋が来るたびにその話を思い出していたものの、なかなか実行に移せずにいましたが
今年初めて試してみることにしました。
秋晴れの早朝、イチョウの落葉を集めて汚れを落とし、すぐに半日ほど天日干しをします。
その後風通しの良い日陰でさらに乾燥させます。
室内の方がいいかもしれません。乾いた葉は風に舞います(涙)。
乾燥させている間にイチョウの葉を入れる小袋を綿か絹地で用意します。
綿 (市販の晒生地など。手拭いやハンカチでも良いと思います。)
絹 (きものの胴裏や残り裂など)
今回は晒生地を一度洗って糊を落として袋にしました。
大きさはイチョウが4〜5枚ゆったり入るくらい。
官製ハガキを型紙にするとちょうど良い感じでした。
晴天が続いて空気が乾燥している日を選び、きものの「虫干し」を兼ねて
箪笥からきものを取り出して引き出しの中を乾拭きし、
戻したきものに触れないように隅にイチョウの小袋を置きます。
どのくらい効き目が持つのかを聞かなかったのですが
きものの虫干しと同時にイチョウの葉を取り替える、ということを
毎年の秋の習慣にしていただくときものの為にも良いと思います。
さて、ここからがうんちくのお話。
イチョウと虫除けの関係を詳しく知りたくて、東山動植物園の「植物相談室」を
たずねました。
相談にのってくださった先生が開口一番おっしゃったのが
「イチョウはね〜、貴重なんですよ!知ってました?」
というお言葉。
イチョウはおよそ一億五千万年前(恐竜時代)にはあったそうです。
それが気象変動などで世界中で絶滅したと思われていましたが、
唯一生き残った樹が中国で見つかり今につながっているそうです。
イチョウが「生きた化石」と呼ばれていることを初めて知りました。
日本には中国に派遣された留学僧が持ち帰り繁殖させて、室町時代には
すっかり根付いて広まっていたそうです。
江戸時代、長崎に来日したシーボルトがヨーロッパでは絶滅してしまった
イチョウを見て驚いたそうですが外国からの旅行者は今でも街中を彩る
イチョウを見て皆さん感動するんですよと教えてくださいました。
ただ、相談室の植物の専門書に虫除けの記載はなく、
東山動物植物園のお隣、千種図書館の植物本コーナーで調べて見ました。
イチョウについての興味深いお話や伝承がたくさん見つかった中、
防虫について触れた一節を
著者 川尻秀樹さん 、社団法人 全国林業改良普及協会発行の
「読む」植物図鑑 樹木・野草から森の生活文化まで という本から引用させていただきます。
葉は昔から抗菌や防虫の効果があるとされ、しおりとして書籍の間に挟み、
本を食害する体長一センチメートルで銀色の鱗に覆われた神魚
(ヤマトシミ:Ctenolepisma villosa)の侵入を防ぎました。
絹には虫がつきません。
知らずについた食べこぼしや、きものを包む 和紙のたとう紙を狙って
虫が侵入してくるのを防ぐためにイチョウの葉が良いという、先人の知恵ですね。
ちょうど今、落葉盛んな頃です。
お散歩がてらイチョウの樹を探しにお出掛けになってはいかがでしょう。
柳芽吹く春
今年の二十四節気のひとつ「清明節」は4月4日でした。
万物みな清らかで明るく、すがすがしいころです。
中国では古くからこの日はご先祖のお墓を清め、お参りをする日だそうですね。
清明節は別名「挿柳節」。
この日、家の門や馬車、井戸端に柳の枝を挿すという風習もあるそうです。
春一番に芽吹く柳の生命力に邪気を払う力があると伝承されているのでしょう。
また、柳の枝を髪に挿せば病気を流してくれる、ともいわれているそうです。
実際柳の木の皮に鎮痛、殺菌作用がある品種もあるそうですから試してみたい気もします。
こちらは 下島宏作「しだれ柳に桜文様の振袖」。
たおやかな柳の枝と満開の桜が極限までシンプルに図案化された振袖です。
今まさにこの振袖のような風景が日本中で見られます。
春、本番ですね。
丹頂鼻緒のバルーン草履
きもの好きの皆さまにはお馴染み「丹頂鼻緒の草履」。
白い鼻緒の前つぼが赤色になっています。
和装小物のページでご紹介した 「菊乃好製のバルーン草履」を最近自分用に誂えて履いています。
鼻緒の前つぼを赤くして、丹頂鶴に見立てるなんて素敵なことをどなたが思いつかれたのでしょう!
日本の美意識にワクワクしてしまいますね。
ところで、赤と簡単に表現しましたが、丹頂の丹は赤土の古語。
また、丹色(にいろ)といえば黄色味を帯びた鮮やかな赤の別称。
いわゆる朱色とはまた違うのだそうで。
この前つぼの色合いをあれこれ迷うのもお誂えの楽しみです。
ちなみに丹頂鶴の頭頂部は羽毛の色が赤いのではなく露出した皮膚の血管の色。
この色で鶴のご機嫌がある程度わかるのです。
今回は草履の台を黒地の帆布にしてみました。
黒地の帯をしめた時や黒地のきものを着る時、バックが黒っぽい色の時などに大活躍です。
履いてみたい!と思って下さった方はどうぞお問合わせください。
「菊之好製 バルーン草履 四分三段」を
特選きもの名匠庵の公式オンラインショップで
販売しております。
「紅型」の名付け親
立春間近のこの時期が、寒さのいちばん厳しい時ですね。
こんな日は色鮮やかな沖縄の紅型を手にとってみたいと思います。
「紅型」のはじまりは14世紀ごろ。
中国や東南アジアとの交易の中で伝わったインドやジャワ更紗の技法が沖縄の気候や風土とあいまって今の紅型の基礎となったそうです。
その後中国の染物や友禅の技法も取り入れながら沖縄独自の染物となりました。
琉球王朝の時代、紅型は王族や上流階級の衣裳で、庶民の着用は許されませんでした。
「紅型」の語源について『沖縄文化社編 沖縄の伝統工芸』という本にわかりやすく記されていますので引用させていただきます。
“ 紅型の紅とは、単なる紅色のことではなく、色を総称したものであり、また型とは、型染めのことではなくもようを指したものといわれている。
紅型の文字を用いたのは、紅型研究者の鎌倉芳太郎で、大正時代の終わりのころといわれる。王朝時代、染物は職人のあいだで型付とよばれていた。”
本当に独特の色!独特のもよう!
紅型とはよくぞ名付けてくださったと思います。
2月の沖縄は日本で1番早く桜が開花します。
鮮やかな琉球の寒緋桜を思い描きながらこの紅型の振袖を眺めています。
宝船(たからぶね)、どちらを向いてる?
きものの文様の一つ「宝船」。
七福神や財宝、米俵などを乗せた帆掛け船のことです。
しあわせは海の果てからくると信じられていたんですね。
さて、この船の舳先の向き、
左を向いていれば「入船」
右を向いていれば「出船」
と呼び分けています。
「入船」は、たくさんの財宝や縁起物を積んだ船が港に入る様子が描かれ、しあわせが訪れるようにとの願いが込められています。
一方「出船」はおめでたい希望の門出を表しています。
この様に柄に込められた、着る人の幸せを願う作り手の思いをこれから折々にお伝えしていきたいと思っています。